某有名家電メーカーで働いた話 〜ネガティブ編〜
お疲れ様です!
イズコです。
前回投稿した前職の話その2です!
前回のを読み返していたら
思ったよりもネガティブな文章だったので
ネガティブ編は無いかもしれない!笑
いや、これがネガティブ編だ!笑
今回は研修が終わったあと、
本命だった開発部に配属になってからの話です。
辛い研修期間も終わり、入社から半年近く経ったころ本命の開発部へ配属になりました。
まず配属されて
開発部の本部長に言われました。
とりあえず3年くらい生産技術で
やってもらうからね
????
?????
はあ、
生産技術って何をするところでしょう?
個人的には設計とかの下っ端から下積みを
重ねてくのかと思っていたら違ったようです。
蓋を開けてみると
開発部ではシーズンを通して新商品を開発していて、その商品の構造や機能の検証をするのが生産技術のようです。
うーん、🧐
ちょっと思ってたのと違うな、、、
生産技術では私が得意としていたPC操作ではなく、手作業ではんだこて使ったり、基盤や電子部品のチェックをしたり、、、、
道具を使って物理的にチェックという作業が多かったです。
まずはじめに課題として出されたのは
商品にも使われている数種類の接着剤についてのレポート提出。
防水には何が良いかとか、電子部品にはこれは使えないとか、そういうことを調べてレポート提出してました。
なんか書いててつまらなくなってきた、、、笑
仕事の中でもかなりの頻度で行ってたのが、
不良品に対するリワーク作業。
学生の頃に思い描いてた大手メーカーの出す商品としては許せないほどの不良率なんですよ、これが。
そもそもの商品づくりの工程をざっくり説明すると、
言われた納期で新商品作って
途中で何か問題がおころうとも
必ず決めた日にはとりあえず出荷する
っていうやり方なんです
もうね、自分も役に立っていたのかわからないですけど、不良品に当たったお客様のことを考えると、怒り。って感じです。
それでクレームがついて戻ってきた不良品をみては、
こんな欠陥があったんだ!
じゃあ次のロットから直そう。
って感じなわけです。
これのループを2年くらいやったあたりから
もうダメでした。申し訳なさとやるせなさだけが募っていきます。
しかも2年目になってからは月の約半分は
中国の工場に出張です。
当時75000の家賃の家に住んでましたが家賃手当、出張手当も出ないので、ただただ半月無人の物件がそこに存在しました。泣ける
これで精神的にも体力的にも意味不明な感じになってしまった私は頻繁に38℃以上の熱が出る体になり毎週2日くらい休むようになってしまいます。
そして晴れて適応障害の診断を受けて
フェードアウトする道を歩めたわけです。
まさか自分が救急車に運ばれたり、こんなふうに会社を辞めることになるとは思ってなかったです。
だけど体は正直だった。
危険信号を出してくれたこの体に感謝です
(;ω;)
そこから半年ほど仕事はせずに悠々自適な生活を送ったあと、第一志望した企業に運良く拾ってもらえました。
今もその会社で働いてます。
今の会社にも少しの不満はありますが
今回この記事を書いて
いかに感謝すべきか再確認できました。
頑張ろう。
さまざまな理由で
会社が辛い、働くことが辛い人へ。
周りからは辞めたらダメだよとか
そのあとどうするのとか、
そういう声も多くあるかもしれません。
だけど勇気を出して辞めてください。
こんなに明るくて楽しい世界があったんだと
きっと思えます。
逃げていいんです。
どんなときも支えてくれる仲間は
あなたの周りにきっといるはずです。
ちょっと話がそれてしまった感じがしますが、
これで良いかな。
気分が悪くなる話はとりあえず
ここで終わらせておきます。
今までで1番長い記事になっちゃいました。
この文章が、
誰かの人生が変わるきっかけになれば
幸いです。
それではまた別の話題で!笑
ばいばい✋